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笹井宏之

Author:笹井宏之
◇1982年夏生まれ
◇ししゃも好き
◇療養生活をおくりながらあっけらか
 ーんと短歌をつくっています

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「現代詩手帖 1月号」詩誌月評 『生命の回廊』
大晦日の雪


粉雪とともに新しい年がしめやかにやってきました。
本年もよろしくお願い申し上げます。


伊津野重美さんから、『現代詩手帖』1月号詩誌月評『生命の回廊』
が紹介されているとお教えいただき、本を取り寄せました。


詩誌月評 「詩について語るとき 我々の語ること  水島英己」 より抜粋

『生命の回廊』創刊号(伊津野重美編集発行)は二〇〇九年一月に二十六歳という若さで急逝した歌人、笹井宏之の追悼号として出されている。歌集『ひとさらい』の歌人に寄せる伊津野はじめ同人それぞれの痛切な思いに満ちた作品やエッセイに心を打たれた。岸原さの笹井短歌の懇切な鑑賞「ゆめをみるみず笹井宏之」のなかに、「笹井さんには短歌がまず「詩であること」への強い志向性があったのではなかろうか。一行詩としての短歌―――。」という指摘がある。笹井自身の「現代詩に負けるものか、という意識が強くて、勝ち負けではないのかもしれませんが、よく自分の連作が、「現代詩手帖」のような雑誌に「詩」として載せられたら、どう読まれるだろう、と考えます」(「新彗星」創刊号の鼎談より)という発言も紹介されている。同誌に掲載されている笹井短歌の数首を引用する。

「スライスチーズ、スライスチーズになる前の話をぼくにきかせておくれ」
まばたきの終え方を忘れてしまった 鳥に静かに満ちてゆく潮
あまがえる進化史上でお前らと別れた朝の雨が降ってる
ねむらないただいっぽんの樹となってあなたのワンピースに実を落とす
一様に屈折する声、言葉、ひかり わたしはゆめをみるみず
ゆきげしき みたい にんげんよにんくらいころしてしまいそうな ゆきげしき

 これらの一行に凝縮された渾身の潔い「詩情」を到達点と見るのではなく、これを受け継ぎ、開き深める営為こそが必要となる。そのとき、若い世代とかベテランとかの区別は意味のないことだ。
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 萩原健太郎の「透明な喩体 伊東静雄」について。「詩の作者が、喩によって成された作品そのものになる。あるいは逆に、生活者である人間が喩的に侵食される。このことの是非や、それが悲劇か喜劇かの判断は別にして、潁原がいうように、詩作者にとって境涯であり本望であるとも思える」いう一節に共感した。静雄の師、潁原退蔵は詩集『夏花』の巻頭詩「燕」に寄せて、「芭蕉」の「句と身が一枚になる」境涯を思わずに居られない、と激賞した。」という、その潁原の言葉を萩原は先の引用のようにパラフレーズしている。笹井宏之の短歌はとくに「句と身が一枚になる」境涯そのもので痛ましい思いがする。確かに萩原が言うように「このことが是か非か、それが悲劇か喜劇かの判断は別にして」、「詩作者」としての根源性がそこに在ることは疑えない。詩の言葉と対峙し、逃げ出すことなく、立ち止まることなく、歩み続ける限り、その境涯はもっと深く険しく美しい断崖を切り出すだろう。・・・・・・


(写真:雪にけむる煙突)
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残照 | 01:13:20 | Trackback(0) | Comments(0)
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