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笹井宏之

Author:笹井宏之
◇1982年夏生まれ
◇ししゃも好き
◇療養生活をおくりながらあっけらか
 ーんと短歌をつくっています

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【温帯空虚】
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一周忌追悼コンサート
宏之


滝までの獣の道を走り抜けあの子は歌手になるのでしょうね   

                          笹井宏之『ひとさらい』より



1月24日、宏之のための追悼コンサートを開催しました。

たくさんの人に集まっていただきました。

当日、たくさんの人にコンサートを支えていただきました。




1月24日、宏之の一周忌を迎えました。

たくさんの人にことばをかけていただきました。

この一年、たくさんの人に私たちを支えていただきました。



たくさんの人に、たくさんのたくさんのありがとうを

心から。



そして、宏之に ありがとう。



コンサートの様子を知人の風竿様が、ご自分のブログで
丁寧に紹介してくださいました。写真もお借りしました。

風竿の「人生の達人」列伝>


ピアノを弾いている宏之の写真はコンサートのプログラムの表紙に
モノクロで使いました。
会場に展示したものを風竿さまが撮ってくださいました。



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残照 | 03:25:23 | Trackback(0) | Comments(12)
『碗琴コンサート』~筒井(笹井)宏之に捧ぐ~
宏之旅立ちの朝(H21.1.24) 
                         (写真:宏之旅立ちの朝  2009年1月24日)

昨年1月24日、白雪とともに宏之が旅立ちましてから一年の月日が流れようとしております。
その間、皆様から賜りましたご厚情に心より感謝申し上げます。

一周忌を迎えるに当たり、宏之のためにささやかなコンサートを開催することにしました。

まだ私たちの心のどこかに、宏之の死を認めたくないとの思いがあり、今日まで一周忌法要を
ためらっておりました。

命日まであと半月となり、何か宏之にためにしてやれることはないだろうか・・・・・・

音楽が好きだった宏之のために、コンサートを開催したいと思いました。

一昨年、体調がいい時は、私のコンサートでオカリナやサックスのピアノ伴奏を、
ほとんど即興でしたが、やってくれました。
フルートも吹いてくれました。私の碗琴、オカリナと宏之のフルートでジョイントも
何度かやりました。

楽しい時間でした。

私たちがやりたいこと、私たちが楽しい時間を過ごすことが、宏之の一番望んでいること

そう思いました。


今から準備をしますので、本当にささやかなコンサートになりますが、お近くの方で
お時間があられれば、有田の方までお出かけ下さい。


 ●タイトル  「碗琴コンサート」~ 筒井(笹井)宏之に捧ぐ ~

 ●日  時  平成22年1月24日(日) 午後1時30分~3時30分

 ●会  場  有田ポーセリンパーク ツヴィンガー宮殿

           有田町戸矢  TEL:0955-41-0030

 ●プログラム 1.笹井宏之楽曲集 【SaSa-Note】 より 
 
             「生命の回廊」「桜」他 2001年~2005年夏の楽曲鑑賞

           2.碗琴・オカリナ・連鉢による≪有田磁器のしらべ≫ 他      演奏:筒井孝司




冬用のふとんで父をはさんだら気品あふれる楽器になった   ~笹井宏之『ひとさらい』より~




残照 | 02:01:27 | Trackback(0) | Comments(20)
「現代詩手帖 1月号」詩誌月評 『生命の回廊』
大晦日の雪


粉雪とともに新しい年がしめやかにやってきました。
本年もよろしくお願い申し上げます。


伊津野重美さんから、『現代詩手帖』1月号詩誌月評『生命の回廊』
が紹介されているとお教えいただき、本を取り寄せました。


詩誌月評 「詩について語るとき 我々の語ること  水島英己」 より抜粋

『生命の回廊』創刊号(伊津野重美編集発行)は二〇〇九年一月に二十六歳という若さで急逝した歌人、笹井宏之の追悼号として出されている。歌集『ひとさらい』の歌人に寄せる伊津野はじめ同人それぞれの痛切な思いに満ちた作品やエッセイに心を打たれた。岸原さの笹井短歌の懇切な鑑賞「ゆめをみるみず笹井宏之」のなかに、「笹井さんには短歌がまず「詩であること」への強い志向性があったのではなかろうか。一行詩としての短歌―――。」という指摘がある。笹井自身の「現代詩に負けるものか、という意識が強くて、勝ち負けではないのかもしれませんが、よく自分の連作が、「現代詩手帖」のような雑誌に「詩」として載せられたら、どう読まれるだろう、と考えます」(「新彗星」創刊号の鼎談より)という発言も紹介されている。同誌に掲載されている笹井短歌の数首を引用する。

「スライスチーズ、スライスチーズになる前の話をぼくにきかせておくれ」
まばたきの終え方を忘れてしまった 鳥に静かに満ちてゆく潮
あまがえる進化史上でお前らと別れた朝の雨が降ってる
ねむらないただいっぽんの樹となってあなたのワンピースに実を落とす
一様に屈折する声、言葉、ひかり わたしはゆめをみるみず
ゆきげしき みたい にんげんよにんくらいころしてしまいそうな ゆきげしき

 これらの一行に凝縮された渾身の潔い「詩情」を到達点と見るのではなく、これを受け継ぎ、開き深める営為こそが必要となる。そのとき、若い世代とかベテランとかの区別は意味のないことだ。
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 萩原健太郎の「透明な喩体 伊東静雄」について。「詩の作者が、喩によって成された作品そのものになる。あるいは逆に、生活者である人間が喩的に侵食される。このことの是非や、それが悲劇か喜劇かの判断は別にして、潁原がいうように、詩作者にとって境涯であり本望であるとも思える」いう一節に共感した。静雄の師、潁原退蔵は詩集『夏花』の巻頭詩「燕」に寄せて、「芭蕉」の「句と身が一枚になる」境涯を思わずに居られない、と激賞した。」という、その潁原の言葉を萩原は先の引用のようにパラフレーズしている。笹井宏之の短歌はとくに「句と身が一枚になる」境涯そのもので痛ましい思いがする。確かに萩原が言うように「このことが是か非か、それが悲劇か喜劇かの判断は別にして」、「詩作者」としての根源性がそこに在ることは疑えない。詩の言葉と対峙し、逃げ出すことなく、立ち止まることなく、歩み続ける限り、その境涯はもっと深く険しく美しい断崖を切り出すだろう。・・・・・・


(写真:雪にけむる煙突)

残照 | 01:13:20 | Trackback(0) | Comments(0)

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